Biography    
 
誕生~幼少期
  • 1965年10月、東京都に生まれる。
  • 少し太り気味、まるまると大きく育つ。
  • 3歳より喘息の発病。
  • 毎日のように注射。先生とは親友になってました。
  • 毎日の様に、トカゲとか毛虫をしょっちゅうさわって、幼稚園の先生を困らせてたらしい。
  • 喘息の発作が出ないときは、何せやんちゃな子供でした。
小学生期
  • 喘息の具合も、ひどくなった。
  • 体を鍛えようと、マラソンを始める。毎日5km走ってました。
  • 更には、サッカーも始めちゃいました。 三菱のジュニアチームでした。
  • 最初の挫折。交通事故で骨折。サッカーはあきらめる。
  • 体が弱かったけど、野球にサッカーと外で遊ぶ元気な子。
   
中学生期
 
  • この時期は、身体も弱かった性もあり、少々いじめられっ子だったかなぁ。
  • 運動部で陸上競技をしながら、体を鍛えるようになり、喘息の発作もでなくなる。
  • 数学、物理等の理科系が好きで、将来はと、結構、陰でガリ勉でした。
  • 2年生の時に、反抗期で、かなり暴れました。
  • 3年生の時は、母親も仕事をするようになり、余計に暴れた。
  • 父親に徹底的に怒られ、少しは自分自身が理解出来たのかなぁ。
  • その後、落ち着いた。
 
高校生期
~予備校期
  • 中学時代最後に暴れましたが、なんとか高校に入学。
  • 高校に入ってからは、これは厳しい。予習復習を恒にしなしと、ついていけない。
  • 特に厳しかったのは英語。先生にしょっちゅう殴られてました。
  • 入学時に151cmだった慎重も急に伸びました。
  • 今じゃ、殴る先生なんか居ないんだろうなぁ。
  • 入学してから2年生までは、バドミントンで励んでましたね。
  • 暴れていた中学生時代には考えられないくらいスポーツと勉強に励んでました。
  • この時代には、喘息の発作も殆ど出なくなった。
  • 予備校に毎日通い、毎日16時間位、勉強してた時期もありました。
  • もう少し、運動もすれば良かったかな。
  • ところが、受験前に伝染性端核急症になり、1ヶ月間発熱に苦しむ。
  • 体力低下と父の入院もあり、大学受験にあきらめる。
     
社会人  
 
  • 父の電子部品販売の商社に入社。
  • 会社の基幹システムの開発を始める。
  • 父の付き合いのある大会社の役員、部長クラスに鍛えられる。
  • 営業の担当が、いきなりアメリカ。「父の一言、アメリカへ行って来い」で今度はアメリカのディストリビューターの社長に鍛えられる。
  • 今度は東南アジアでの営業。
  • 円高の影響でなかなか厳しくなってきた。
  • 精密機器の拡販につとめる。(国内、アメリカ、韓国、台湾、etc)
  • 経営に参加。
  • バブル崩壊と 父の病気と老化もあり、会社を閉める。
  • サラリーマンとして精密機器の国内営業を始める。
  • 多発性硬化症の発病。
  • 2回目の発病により、総務職に。
  • 基幹システム開発職に。
  • システム開発の管理職を務める。
  • 親会社と統合、システムの引継ぎに追われる。
  • 仕事に追われたあげく、多発性硬化症の発病。
  • 度重なる発病により、インターフェロンβ治療に挑戦。
  • インターフェロンβ治療の副作用により2ヶ月間苦しむ。
  • インターフェロンβ治療の効果もあり、しばらくの間、再発はおちつく。
  • インフルエンザをきっかけに、多発性硬化症の再発。
  • 度重なる発病により、会社を退社。在宅療養に入る。
  • ネットワークに関する学習を改めて開始。
  • Linux、PHP、フレームワーク等の学習。
  • プログラム言語に関する学習。
  • 度重なる足の痙攣で自宅療養。
  • 新しい医療機関を探し、足の痙攣も無くなり、再発も落ちついた。
  • 再度、就職すねが、契約満了にて、現在再就職先を探し中。
  • 現在に至る。